母とケンカしたことで、突然孤独に陥りました。
話せる人が誰もいないのです。
父とは話しても楽しくないのであまり話しません。
無職でひきこもりの私は仕事仲間もいないし友達もいません。
初めて孤独を感じ、社会とつながりがないということに危機感を感じました。
これまでは母が友達代わりでもあったので孤独じゃなかっただけだったんですね。
数日経って母とはまた話すようになりましたが、今回のことで母が他界したら誰ともしゃべらない生活になるのだと実感しました。
話せる人が母以外いないというのは前から分かってはいたのですが、誰とも話さないのがどんな気分なのか分かっていませんでした。
母と話さなかった日は2日程でしたが、空虚で不安な気持ちになりました。
昔「一卵性親子」という言葉が話題になった時期がありましたが、母と私はおそらくそれに該当すると思います。
「一卵性親子」とはウィキペディアによると
一卵性母娘(いちらんせいおやこ)は、母親と娘(特に思春期以降)の共依存を表した言葉である。友達母娘(ともだちおやこ)、母娘カプセル(おやこカプセル)という言葉も、ほぼ同じ意味で用いられることが多い。一卵性母娘の家庭で、娘の人格が、母親と未分化なまま育った娘は、アダルトチルドレンとなる。
語源は歌手の美空ひばりとその母親が二人三脚でスターへの階段を駆け上がっていった姿を指したのが始まりと言われるが、はっきりしたものではない。
と説明されています。
母と「話が合う、気が合う」と思っていたのは、このWikiに記載されている「娘の人格が、母親と未分化なまま育った」ということなのかもしれません。
母と一緒にいる時間が長いので自然と考えが似てくるでしょうし、母の考えだけを聞いているため悪い言い方をすると「母に洗脳されている」のかもしれません。
母以外の人と話した時に「合わないなぁ・・・。」と思ってしまうのは、きっと考えが似ている母とばかり話しているからですね。
違う考えの人と上手く付き合うことが苦手ですが、できるようにしていかないといけないのかな・・・。
最近、『漫画 君たちはどう生きるか』を読みました。
(この本が話題になった時に母が衝動買いしたのを借りました。)
本の最後の方に
「太陽みたいにたったひとつの大きな存在が世の中を回しているのではなくて 誰かのためにっていう小さな意思がひとつひとつつながって 僕たちの生きる世界は動いている」
とあります。
これを見たとき、私は自分中心の狭い世界でしか生きていないなぁと思ってしまいました。
母とケンカする前はそれでもいいと思っていましたが、このままでは母がいなくなったら寂しい人生になりそうです。
広い視野を持つことや考えが違う人とも向き合う努力が私にとってこれから必要なのかな。