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東日本大震災の記憶1 当日の様子など

今日で東日本大震災からもう8年も経つのですね。

年月が経つほどだんだん記憶が薄れてしまうので、ブログに書いておこうと思います。

(なるべく正確な記録を残したいのですが、8年前のことなので日にちの感覚に少々不安があります・・・。)

 

震災当時も宮城県に住んでいましたが、命に関わるような大変な目には遭っていません。

 

 

2011年3月11日 震災当日

 

当時私はパートをしていて午後の勤務で、地震時は通勤のバスの中でした。

あまりの揺れにバスや車は停車しました。

バスのタイヤのせいか、トランポリンの上にいるかのような弾むような縦揺れでした。

オフィス街で高層ビルが立ち並ぶ場所だったので「ビルが倒れたら下敷きになって死ぬんだな」と諦めの気持ちになっていました。

ビルを見ると左右に大きく揺れていましたが幸い建物は倒れず、これほどの地震で建物が倒れなかったことに驚きました。

その後揺れが収まり、バスも走行を再開し勤務地に着きました。

勤務先では少し片づけをした後に全員帰宅することになりました。

夕方でしたが、バス停は人が並んでいてバスが遅れているようでした。

バスが通常通りに来るか分からないので、歩いて帰ることにしました。

家までは徒歩で1時間弱です。

それでも雪が降っていたので寒くて歩くのが大変でした。

途中でバスを見かけましたが回送になっていました。

バス停に並ばず徒歩で帰る判断をして正解でした。

家が遠くて歩いて帰れない人たちは本当に大変だったと思います。

帰宅途中の道路では水道管が破裂したのか、道路から噴水のように水が噴き出ている所がありました。

帰宅後、家の被害を母に聞くと部屋の扉が外れて倒れたこととお皿が割れたことぐらいでした。

帰宅後少しの間は水が出たのですが、その後断水になりました。

断水になる前に母が浴槽に水を貯めていてくれたので、その後それをトイレを流す水に利用できました。

停電にもなり、ろうそくの灯りで過ごしました。

食べ物は冷蔵庫にあるものを食べました。

寒い時期だったので停電でも冷蔵庫の食べ物が腐りませんでした。

家では常に食べ物など買い置きしているので食べ物に困ることはありませんでした。

買い置きしていない家や一人暮らしの人などは食料の調達が大変だったと思います。

 

震災2日後

 

父が水を貰ってきました。

給水所は車で15分程の場所にある大きな公園でした。

午後に電気が復旧しました。

 

震災4日後

 

パートの勤務再開

同僚は、親の安否が確認できないのに出勤している人もいれば、来られそうなのに休んでいる人もいました。人によって仕事に対する意識の差が大きいんだなぁと感じた出来事でした。

通勤途中の自動販売機を数台見ると、水やジュースが売り切れていて缶コーヒーのみ売れ残っていました。

震災の何日後か定かではありませんが仕事の帰りに自宅近くのコンビニに立ち寄ってみましたが、食べ物が売り切れていて飴が1個だけ入っているような食玩しか残っていない状態でした。

 

東日本大震災の記憶2 電気・水道・ガスの復旧

東日本大震災の記憶3 お店の様子

東日本大震災の記憶4 災害に備えて用意しているもの